漢方症例集
2024.05.27

1時間おきにトイレに起きてしまう女性の話

50代くらいになってくると寝ている途中でトイレに行きたくなるこのは、そんなに珍しいことではありません。あるデータによると50代では60%以上の方が夜中に1回はトイレに行くそうで、この割合は年齢が上がるとさらに高くなっていきます。ですので、1回くらいトイレに起きてもその後またスムーズに入眠できれば、さほど気に病むこともありません。

しかし、これが一晩に4回5回となってくると話は変わってきます。今回はそのような方を治療させていただいた経験についてお話しします。読んでいただくと分かりますが、初めは病態をうまく掴めずとても悩みました。治療がうまく行ったところだけ書けばかっこいいのですが、悩んだ経過をお話しすることで漢方治療の難しさ、楽しさもお伝えできればと思います。

患者さんは40代後半の女性、生まれたてのバンビのように頼りなげな方で、お話しされる声にも元気がありません。聞けば1年ほど前に服用した抗うつ薬の影響で尿が出にくくなり、夜中1時間ごとに4回も5回も尿意で目が覚めるようになったとのこと。しかも、夜中にトイレに行ってもスプーン1杯程度しか尿が出ず、ただ、そのスプーン1杯の尿でも出しておかないと膀胱のモヤモヤ感が続き辛くてたまらないと言われます。薬剤性の排尿障害であれば、薬を止めれば良くなることも多いのですが、この方の場合は薬を止めて半年以上が経っても一向に改善が見られませんでした。

先に受診した泌尿器科では膀胱機能低下、慢性膀胱炎と診断されましたが、抗うつ薬副作用の経験から西洋薬による治療は拒否されていました。そこで泌尿器科からは猪苓湯、五淋散、清心蓮子飲が次々と処方されましたが、いずれも効果が得られませんでした。

また、抗うつ薬を辞めたことで不安感が強まり不眠も続いていたため、別の漢方内科も受診されていましたが、処方された加味逍遙散、加味帰脾湯、抑肝散、いずれも効かなかったそうです。

さらに詳しくお話を伺うと、整体で大腿をマッサージしてもらったらとてもよく尿が出た、寝ている時は足が冷たくてたまらないと言われ、実際触ってみると足首から先は冷え切っていました。また、お腹を診察すると特有の圧痛を認めたため、瘀血(広義の血行不良のようなもの)と冷えが関係する排尿障害と考えてお薬を処方すると、しばらくして冷えは良くなったものの夜間頻尿は一向に良くなりませんでした。

実はこの方には元々吐き気や便秘といった胃腸障害もあり、体重が減ってきていたのですが、当院での治療の途中で1ヶ月ほど精神科に入院され、点滴などの治療を受けるというエピソードが重なりました。また、患者さんは症状がよくならないことに疲れ、絶望し、うつ症状が悪化している状況でした。

そこで、一度考え方を変えてみることにしました。

この時点まで私は、少量の尿に反応してしまう膀胱、あるいはモヤモヤとした不快感を現す骨盤部に注目して、ここで何が起こっているのかを考え続けていました。でも、頻尿は一旦置いておいて、眠りたいのに体に異常な感覚湧き起こって寝られないという点を、漢方でいう煩躁(心が落ち着かず、悶え苦しむこと)と捉えて治療しようと考えたのです。今考えてみると当たり前のアプローチなのですが、頻尿の症状ばかりに囚われて思い至っていませんでした。

煩躁の漢方薬も色々とありますが、入院が必要なほど体力が消耗した状態を考慮してお薬をお出ししたところ、膀胱のモヤモヤ感は数日で消えてしまいました。あんなにしつこく患者さんを苦しませていた症状が、こんなにあっさり無くなるなんて。

このお薬の出典となる条文には、ただ「虚労、虚煩眠を得ず」と書いてあります。3世紀の中国、まだ紙も印刷技術もない時代に、張仲景によって竹の簡に書かれた条文です。竹簡は重たくてかさばるし、写すのも大変ですから表現は極限までシンプル、「虚煩ってこういうことだよ」という説明は一切ありません。頻尿についても触れられていません。でも、正しく今回の患者さんのことを言っていました。

私が尊敬する師匠は「漢方は感性」とよく言われます。例えば、「虚煩」って何?と書物を当たるだけではなく、それを記した張仲景の意図を察する感性、患者さんが提示するすべてから「虚煩」を読み取る感性、この両方が大切なのかなと思います。

うーん、言うは易し。でも、これこそが漢方の醍醐味なんですよね。西洋医学のアルゴリズムやガイドラインに従う医療は、医者の能力によらず一定レベルの治療を国の隅々まで広く行き渡らせる点で優れていますが、ガイドラインからこぼれた患者さんを「あなたは病気ではない」としてしまう傲慢さをはらんでいます。漢方はそんなことはしません。患者さんの体から発せられる声をいつも一生懸命に聞いています。