二つと五つ。今日のコラムは漢方でとても大切な「陰陽五行論」のお話です。陰陽五行論、なんて難しそうですね。なのでちょっと興味を持ってもらえるように、二つと五つ。
陰陽五行論を少しでも知っていると、これからのコラムも楽しめると思います。そして陰陽五行論を通して世界を覗いてみるとちょっと面白い。ですので少しお付き合いください。
お気づきの通り、「二つ」は陰陽のこと、「五つ」は五行のことです。
陰陽のことはこれまでのコラムでも少し触れてきました。「感情の居場所」のコラムで臓腑の説明をしましたが、五臓六腑はまさに陰陽五行です。臓・腑と陰・陽、五臓と五行、と言う訳です。五臓と五行は同じ数字なので何となく腑に落ちますが、臓腑と陰陽はちょっと考えてみないと腑に落ちません。内臓をわざわざ臓と腑に分ける必要があったのか。必要があったとして、どのようにして臓と腑に分けたか気になります。
腑とは胆嚢、小腸、胃、大腸、膀胱、三焦(さんしょう)でした。ややこしくなるのでここでは三焦は忘れてください。私たちの知っている知識では小腸、胃、大腸は消化管、胆嚢は胆汁をためる袋、膀胱は尿をためる袋です。腑と言うのは食べた物が通る管であったり、尿や胆汁を貯める袋状のもの。一方、臓の方は中身が詰まっています。焼鳥で食べる肝臓のレバーや心臓のハツなど思い浮かべてください、ある程度の塊で管や袋ではありませんね。
解剖をして臓器の連なりや内側を見た時に、自ずと臓と腑では働きが違うと昔の人は直感しました。しかし、心臓や肺臓が何をしているかは見た目である程度理解できても、肝臓や脾臓などの働きは非常に分かり難かったと思います。ここで、臓器を臓と腑の大きく二つに分けて考えると、なんとなく何か分かった感じがします。(そうでもないかな…)
実は陰陽論が先にできていたので、内臓を陰陽の二つに分けることは恐らく決まっていた作業でした。そして先ほど説明したように、明快に二つに分けることができました。中身がつまった臓は陰、中が空洞の腑は陽と。では、どうして臓は陰で、腑は陽なのか、気になるでしょうか…。(あっ、気にならないようですので、今回はやめて、いつかのコラムにとっておきます)
陰陽五行論が成り立った背景の一つに太陽、月、五つの惑星の存在があります。農業が発達するためには暦がとても重要でした。種を撒く時、雨が降る時、冬の長さなど、それを知る目印が必要で、世界のどの文明でも利用したのが月の満ち欠けや星の動きでした。太陽、月、五つの惑星の動きは特別違います。このコラムは8月に書いていますが、夏になると必ず夏の大三角形(白鳥座のデネブ、ワシ座のアルタイル、こと座のベガを結んだ三角形)を見つけることができます。冬になるとオリオン座。季節の目印になりますね。夜空の星はこのように年間を通して決まった動きをしているように見えますが、太陽、月、惑星は違います。太陽は季節によって高さを変えるし、月は満ち欠けをします。少し星を眺めることが好きな方はお分かりかもしれませんが、今年の夏は木星、土星が夕方から良く見えています。でも来年の夏は同じところには見られません。明けの明星や宵の明星と言われる金星も、季節に関係なく西の空や東の空にその輝きを変えています。昔、肉眼でも観測できた惑星は五つでした。このような特別な存在はきっと意味のある法則に支配されていると、思いたくなります。昔の人は、この「二つと五つ」の特別な天体から自然界の法則について深い洞察したと想像します。
では、どのような洞察をしたのか。陰陽五行論の核になるお話は後編に続きます。(拓也)